私は元警視庁警察官、はやぽん(@hayapon_adhd)です。。
なぜ警察を辞める決意をしたのか。
退職日、上司に「新しい場所でも頑張れよ!」と肩をぽんとされ、いろんな思いがこみ上げて、上司の前で涙してしまった私。
そして、警察を退職後、「放課後等デイサービス」で障害のある子たちの支援員をしています。
私が子どもたちと同じ発達障害を持っているからといってこの支援員の仕事が簡単にできるわけでもありません。
簡単に子どもたちのことを理解できるわけでもありません。
子どもたちと接しながら日々勉強し、支援する子たちの支えになりたい一心で頑張っております。
改めて私のこれまでの経歴と今後やっていきたいことについて整理しましたので、読んでいただけたら嬉しいです。
元警察官の私が在職中に診断されたADHDの特性
私は警察官として在職中に発達障害の種類の一つであるADHD(注意欠如・多動症)の診断をうけました。
発達障害を持っていると脳の機能の一部の働きが障害を持っていない人と異なります。
人によって障害の特性の現れ方が異なるので、私の場合についてのご紹介です。
①短期の記憶力が著しく低い
すぐに忘れてしまうため、忘れ物・失くしものが多くなります。
警察官時代、備品を失くさなかったのは自慢です!!(⇐いやいや、そんな威張ることじゃない)
銃とかなくしてたら、マジでやばかったです。
忘れ物しないために、「すべてを持つ」という対策を取っています。なので通常時のカバンのサイズがバックパッカー並です。
旅行のときは妻と子供2人の荷物(オムツも含んでるよ)と私1人の荷物が同じぐらいの量だったりします。
汗っかきなので夏場は特に着替えも多くなり、カバンがパンパンです。
なんでそんなに多いのよ??
なんか見慣れたけど・・・
虫垂炎で入院したときもすごい荷物でした。
私がぐったりで荷物を持てないため妻が持とうとしましたが、重すぎて妻が持ち上げれず、、、。
診察や検査に荷物を持って移動できないので、別室で預かってもらってました。
この部屋に置いておいていいですよ。
えっ?
重っ!!!
何入ってるの???
記憶力の悪さの例をあげるなら、大学生時代の居酒屋でのバイト。
料理のメニューや出すタイミングなど仕事全般が全く覚えられず、ミスしまくりで2週間でクビ・・。
同じタイミングで入った高校生がいとも簡単に覚え、スムーズに仕事をこなしているのを見て、自分はなぜこんなにも覚えられないんだろう。と愕然としたのを覚えています。
②マルチタスクができない
子供時代、先生の話を聞きながらノートが取れませんでした。
板書だけを取る、先生の話だけを聞く、というのはできました。
でもやりながら〇〇するというのが全くできません。
先生の話を聞きながらノートを取れないので、話を聞いてノートを取らずにいたら、サボってると思われました。
「みんなはノートを取っているのでなぜ取らないんだ!」と、怒られていましたね・・・。
思い返すと悲しくなるエピソード。
学校の先生、両親ともに発達障害なんてワード、知りもしないので、全く理解もされずつらい思いすることが多かった学生時代でした。
今も何かをしながら〇〇をすることができません。
電話をしながらメモ取れません。
資料を見ながらデータをパソコンに打ち込むことできません。
資料を見ながらデータについて電話で質問し、確認したくても、資料見ながら電話することができません。
こんな感じなので、仕事に支障をきたします。
周りの人からしたら当たり前にできることなんです。
だから理解されませんでした。
なんでそんなこともできないんだよ。
ってなっちゃうわけです。
周りの人が簡単だと思っていることができないのに、突然、見栄えも素晴らしい有用な資料を作成できちゃったりします。
「こんな資料作れるんだね。すごいね!」と褒められて嬉しかったです。
でも、でも、、
「こんな資料作れるのに普段なんで、これができないんだ?」
「普段、手を抜いているのか?」と言ってくる上司もいて、出来ても出来なくてもけなされる辛さよ・・・。
できることと、できないことの差が激しいから、ADHDの才能(凸凹)は難しい・・・。
④優先順位がつけられない
仕事を優先順位が高い順にこなしていくのが非常に難しかったです。
やっていた作業の途中で違う作業を頼まれたら、パニックになります。
どこまでやっていたのか思い出せないし、どれが優先順位が高いのかわからなくなってしまいます。
と、もたもたしていると
なんで終わってないんだよ!
どんだけ時間経ってると思ってんだよ!!!
冷静に思い返してみると私、ひどいな。
そりゃ怒られるわけですよ。
仕事にならなくて周りの人がキレるのも分かるぜ(-_-;)
ゆっくり自分のペースで自分なりのやり方でやらせてもらえるとスムーズにできるんですよね。
でも実際の仕事は横やりが入ることがしょっちゅう。
だからスムーズにこなせない。
この負のスパイラルに陥ってました。
私の苦手とするところと一番相性の悪い職場だったのが、最後に所属していた部署でした。
退職を決意するまでは、私の障害についての説明は何度も何度も伝えてはいましたが、今後仕事をしていくためにもやはりもう1歩踏み込んだところまで伝えきれていませんでした。
すべてを話すと、「それって、ここで働けないってことになるんじゃない?」となる内容だからです。
なので、退職を決意した後、発達障害について上司・同僚に包み隠さず話をし、やっと理解をしてもらえた感があります。
かなりぶっちゃけたんですよ。
そしたら、みなさん、腑に落ちたようで。
そういうことだったんだね。
なるほどね!
と、職場での「発達障害」への理解を上げることができたと自負しております。
最後の私の功績(笑)
「発達障害」の理解の輪が広がるのが何よりも嬉しい私です。
このまま警察に定年までいたらどんな自分になるだろうか
警察に就職してADHDの診断を受けるまでの約10年間は私の苦手とする部分が原因で困るようなことはあまりありませんでした。
現場仕事はできました。
上記に書いたとおり、事務作業が壊滅的にできないんです。
書類作成ができないんです。
じっと座っているのがとても苦手です。(⇐ADHDの多動の特性によるもの)
交番勤務だとパトロールもあり、動けるので動けると頭も整理されます。(⇐座りっぱなしだと頭がうまくまわらなくなってくるんです。)
なので、書類作成の少ない部署は大きな困難を感じることなくやってこれました。(⇐上司や周りの同僚が上手くフォローしてくれて上手くやってこれたというのもあります。)
そのため、ADHDの診断を受ける直前まで私が発達障害を持っているとは想像もしていませんでした。
私がADHDの診断を受けることになったきっかけは最後の部署に異動し、過度のストレスから適応障害というストレス性の病気で休職したことでした。
休職にまで追い込まれて初めて自分に違和感を持ち始めました。
僕はなにか人と違うのだろうか?
適応障害の治療は無事に進み、心の状態は改善しましたが、このまま定年まで警察にいるべきなのか葛藤が起こりました。
それは、私が抱えているADHDという障害は先天性のもので治るということがないという事実があったことでした。
私(ADHD)のマイナス点は下記のような感じです。
- 体調の不安定さ(体調の悪い日がたまにあります。薬のせいでなってるかな・・・)
- 書類ミスを繰り返す(指摘箇所を完璧に直せず、何度も何度も修正を繰り返し、直さなくていいところも直しちゃうのが私のいいところ⇐コラ!)
- 一度深みにハマると考えがまとめることができない(頭真っ白になって立ち尽くすことあり⇐誰か助けて)
冷静に挙げてみると、私、やっぱりヤバいやつ!!
自分自身がいくら努力や改善のための工夫をしても障害のない人と同等のレベルまで改善できません。
警察官という職業は、常に危険がつきまとう現場で仕事をします。
13年間トラブルを起こすことなく任務を遂行してこれました。
でも、今回の部署でぶち当たった決定的に苦手な作業、そしてADHDという障害を抱え、定年まで仕事を続けるということへの大きな不安がありました。
どうにかこうにか改善しようと努力を続けてきたけれどどうにもならなかった復帰後の1年間。
無理し続けて、自分が自分でいられなくなる。
私が得意とする分野での仕事をしよう!!
と、私は退職を決意しました。
自分が自分らしくいられるために退職、経験を生かして仕事をしたい
休職を経験し、ADHDと診断され、自分のことを見つめ直したときから、なんとなく、定年までは警察の仕事を続けないだろうなと考え始めていました。
そんな中で発達障害をもつ人を助ける仕事に興味を持ち始めました。
警察官の仕事はいろんな状況をぱっと見てぱっと判断する能力が求められます。
私はじっくりと時間をかけていろんな情報を整理し、判断していくことが得意です。
同じ「人助け」という点で考えたとき、私は1人1人の人間とじっくり付き合っていく仕事が合っているのではないかと気づきました。
自らの発達障害で苦労しながら生きてきた経験と発達障害の支援に関する専門的な知識があれば、発達障害の特性で困っている人の力になれるかもしれない、自分らしさを大事にしながらこれからの人生を過ごせるかもしれないと思いました。
そして、精神障害者の支援のための国家資格である精神保健福祉士の資格を取得することで違う道へ進むことができたら・・・と考え、退職する前から今後のことを見越して、通信制の大学に入学していました。
「警察官という仕事はつぶしがきかない、転職するにしても転職活動を有利にするためのスキルや実績が何もなくて転職活動に踏み出せない」という話を上司や同僚などからよく聞かされていました。
警察という職業は他の仕事ではできないような経験を積むことができます。
しかし、業務が特殊すぎます。
特殊すぎるので、転職活動で
「拳銃を打てます」
とアピールしても、
「どこでその実力を発揮するんだ??」
となってしまいます。
退職を決意し、職場の上司に伝えた後、警察の業務を活かし、自分の得意分野を活かせる仕事って何があるんだろうかといろいろと考えました。
精神保健福祉士の資格を取得し、福祉系の道に進みたいとは思っていましたが、具体的な職種・仕事については決まっていませんでした。
私という人間とは(改めて自分のことについて分析):
①発達障害(ADHD)である
- 障害を持っている人達の感じている辛さや経験に共感できるのではないか
- 発達障害者と同じ目線で考えることができるのではないか
- ADHDの特性が武器になるのではないか
②適応障害を経験している
- 精神的につらい思いをしている人に共感できるのではないか
アドバイス
子供に好かれるよね
教えるのが得意だよね
「子供・教育・福祉」このキーワードで自分の中で「これだ!!」と思える仕事はなんだろうかと考えながらこのワードで転職サイトをとりあえず登録してみました。
そしたらオススメで表示された「放課後等デイサービス」の仕事に「ピンっ」と来ました。
放課後等デイサービス」の仕事がオススメで出てきたけどどうかな?
それ、絶対いいと思う!それだよ、それ!すごく合ってると思う。
妻の直感はかなり当たるんです。
結構、妻は直感力の強い人なんです。
そして行動力がある!
大学に入学しようか迷って何もせずにうだうだと考えていたときも
資料を取り寄せるだけなら無料だから、取り寄せておいたよ!
と背中を押してくれました。
人生の岐路では妻の直感を信じて進んできました。
退職についても
辛いところで働いて寿命を縮めるより、はーちゃんが生き生きできるところで働いている方が私も嬉しい。
「今日は何を言われているのかな、また落ち込んでいるのかな。」とか毎日心配しているより、私の精神も休まるよ。
警察、辞めちゃいましょ!
って快く賛成してくれました。
発達障害で悩んでいる困っている人の力になりたい
警察を退職後、大学で勉強しながら、放課後等デイサービスという施設で実際に発達障害や知的障害等の精神障害を持った子供たちの支援の仕事をはじめました。
- 障害児支援の専門的な知識を習得する
- 実際の現場で経験を積む
- 今までの人生で発達障害の特性で困ってきた経験を活かす
上記のことを実施し、精神障害で仕事や生活で辛い思いをしている人の力になりたいのです。
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