私が休職になるまでの経緯

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はじめに

はやぽん(@はやぽん)です。

会社の人間関係が原因で、うつ状態になり、休職。

その後の検査で発達障害(ADHD)を抱えている事が分かり、治療をはじめました。

2年半の休職を経て元の部署に復帰しました。

※復帰してから1年後に警察を退職しました。

退職したことについてはこちらをお読みいただけたらと思います。

私は休職中に適応障害の克服の方法、発達障害の特性との付き合い方やパワハラとの闘い方など様々な経験を積み、自分とどう向き合っていけば良いのかを考えられるようになり、絶望の底から這い上がることができるようになりました。

私の経験が今、私と同じような境遇で苦しんいる方に参考になればと思います。

今回の記事は私が休職になるまでの経緯についてご紹介したいと思います。

忙しい部署に異動

2018年9月に異動があり、前部署よりも忙しい部署になりました。以前と比べて、書類や報告書の作成などの事務作業が多くなり、新しい仕事になかなか慣れる事が出来ませんでした。書類の誤字や脱字が多く、上司や先輩から

  • 努力がたりない
  • 甘えている
  • ミスが多いのは怠けているからだ

と怒られる日々でした。そのため、毎日通勤時は頭痛がひどく、身体が鉛を背負っているように重かったです。

自分では精いっぱい努力しているのにこれ以上どうやって頑張ればいいのか分からずに非常に悩んでいました。

ちょうどその頃、高校時代の友人と飲みにいく機会があり、友人から興味深い話を聞くことになります。

彼は、仕事のミスや仕事でアポを忘れるなど同僚よりも失敗が多く、毎日のように上司から叱責され続け、それが原因でうつ病になり、精神科医の勧めで検査を受けたら発達障害だということが分かったということでした。

彼からの話を聞けば聞くほど、自分の失敗と重なるポイントが多かったのです。

この頃から「自分ももしかしたら発達障害なのかもしれない」と思うようなりました。

この頃にやっと妻に自分が職場で辛い状況になっていることを打ち明けました。

話しながら涙が自然と出てきていました。

今まで仕事の話や悩みを打ち明けることはなく、初めてのことでした。

今思えばもっと早く悩みを打ち明けていたら良かったと思いますが、その時までそのような発想が全くありませんでした。

人に相談することがとても下手な性格なのだと思います。

涙を流しながら打ち明けた時、妻は今まで見たことない姿にとてもびっくりしたそうです。

少しづつ妻と仕事の悩みについて話ができるようになり、病院を探そうかということになりました。

まずは発達障害なのか診断してもらうことから始めようということになりました。

精神科なんて今まで考えたこともない分野で2人ともどうやっていい病院を探したらよいのか全くわからない状況でした。

病院選びの選択肢として浮かんだのは、「歩いていける」「自転車で行ける」ぐらいでした。

通うことになるなら近いほうがいいよねと。

妻と子供と三人で近くの駅を歩きながら

私

どうしようか・・・。あそこの病院(ちょっとボロいビルの病院)が良さそうって思ったんだけど。

妻

え、なんか汚いビルだからどうせなら綺麗な方にしない?あそこは?

なんか綺麗で良さそう。

とそんなノリで決めた病院。

入ってみるととても綺麗で受付の方も優しく対応していただき印象がとても良かったのを覚えてます。

初診は1ヶ月後と言われ、その日に予約をして帰りました。

※近さと綺麗さだけで決めたこの病院、今でも通っている大変お世話になっている病院です。

この病院の先生、ソーシャルワーカーの先生のおかげで私は社会復帰できました。

字が書けない・・・・

予約日を待つまでにも職場では毎日ミスを叱責され続けていました。

「こんなに努力しても全然改善しないし、仕事も覚えられない。

いくら努力しても努力が足りないと言われて自分ではこれ以上どうやって頑張ればいいのか分からない。」と非常に辛い日々でした。

何もないのに突然涙が止まらなくなったり、出勤中の電車の中で動悸が止まらなくなり、職場の最寄りの駅に着いた時は冷や汗と動悸で立ち眩みを感じるようになっていました。

この頃の状態を例えるなら

「ガソリンがない車を無理やり走らせようとキーを回し続ける状態」

これ以上どうやってもエネルギーがでないし、どうやって頑張ればいいのか全くわからず、苦しいだけでした。

仕事が全然楽しくないし、

「どうせ今日もまた怠けているとか、甘えているとかいわれるんだろうな」

と嫌な思いしか頭の中にはなく、日に日にエネルギーが枯渇していくような感覚になりました。

娘と公園に遊びに行っても、気晴らしに家族で外食に行っても、イベントに出かけても全く心が晴れず、「死んだ魚の目」をしていました。

そして転勤してから約2か月、それは突然でした。

いつものように出勤し、ペンを取って字を書こうとするが、体が震えて、手も足も動かなくなりました。正に字が書けない・・・。

こんな状態でした。その時、私の異変を感じた、当時の直属の上司がすぐに自分を近くのメンタルクリニックに連れていってくれました。

そこで適応障害の診断を受けて、3か月の休職を言い渡されました。

予約を取っていた病院の初診日を待たずに体が限界を迎えてしまいました。

伝えたいこと

私は転勤してから休職するまで仕事で辛い思いを溜め込み続けた結果、身体と精神が限界を超えてしまいました。

辛い思いをして過度なストレスを受け続けると自分の事を冷静に考える事ができなくなり、誰にも相談できなくなります。

自殺の報道等がニュースで流れる度によく聞く事ですが

「なんでそうなる前に相談しなかったんだ」

という話を聞きますが、精神的に追い詰められると人に相談するという発想ができなくなるということを経験しました。

私の場合は幸運なことに仕事中に限界を超えたサインを直属の上司が気づいてくれて職場の最寄りのメ ンタルクリニックに連れて行ってくれてくれました。

辛かったら誰かに相談できれば早めの対処もできるのだと思いますが、私の場合は自分でそれが出来ずに上司に助けてもらい、救われました。

家族にも倒れるギリギリになるまで相談が出来ずに、無理をし続けて限界を超えてしまいました。

もし、職場や家族、身近な方などの異変に気づいたら声をかけたり、相談に乗ったりとなにか行動をおこしてもらえたら苦しんでいる方を救えるかもしれません。

周りの方が気づいてあげることがとても大事だと切に思います。

私は心配してくれる人がいると思えただけでとても嬉しく、救われました。

ここまでこの記事を読んでくださりありがとうございます。

YouTubeでも関連動画を公開しておりますのでこちらもご覧ください。

ADHDと診断された元警察官、なぜ復帰できたのか
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この記事を書いた人

このブログを運営しております、「はーちゃん」です。会社の人間関係が原因で、うつ状態になり、休職。休職中に発達障害(ADHD)と診断されました。2年半の休職を経て元の部署に復帰しました。私と同じような境遇で悩んでいる方、悩んでいる方の友人や家族の方などに、少しでも有益な情報発信をしていければと思います。

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