はやぽん(@hayapon_adhd)です。
私は警視庁警察官でした。
警察官として13年間在職していました。
はい、過去形です!
在職中に適応障害を発症して約2年半休職。
休職期間中に発達障害と診断されました。
発達障害の特性とうまく付き合いながら職場復帰をしました。
しかし、警察官を退職して新たな人生を歩んでいくことになりました。
今回の記事は私が警察を辞めようと決心した経緯についてです。
なぜ警察官になりたかったのか
警察官の志望動機は
格好いい〜!
パトカーを運転したい!
事件現場を見れる!
拳銃を撃てる!
と、こんな理由でした(笑)
好奇心が強いADHDの特性が出ていたのかもしれません。
そして、大学の先輩で警察官になった方が多く、話を聞くうちに本気で目指すようになりました。
警察官としての経歴
警察学校に入校
厳しい指導の中、発達障害の特性が出ていなかったのか?!無事、卒業できました。
周りの同期に恵まれていて、かなり助けられていたためだと思われます。
同期、教官の方には非常に感謝しております。
警察学校はとても厳しかったです。
でも、楽しい思い出の方が大きかったです。
※教官に退職の挨拶で電話をし、激励の言葉をいただき、大変うれしかったです。
※当時の話も聞いてみました。
※警察学校の最初の1ヶ月、教官は私のことを大丈夫かな?やっていけるかなと思っていたそうです。
(やっぱりADHDのよくないところ出ちゃっていたのかな・・・)
最初の配置は「交番勤務」
ここでも上司や先輩に恵まれていまいした。
「天然ちゃん」として問題なく業務をこなせていました。
きっといろいろやらかしていたと思います。(自信あり(笑))
でも、「新人だから」と、許してもらえていた可能性大!なのです。
勤務初日にインフルエンザにかかったのはいい思い出です。
(毎年かかっているわけではないのにこのタイミングで(笑))
みんなヨーグルトやゼリーを差し入れしてくれて、優しさを感じた(^^)
次に配置されたのは「機動隊」
私の苦手な事務作業がない部署。
頭ではなく体を使う部署。
体力勝負だったので、「若さ」と「ノリ」で乗り切れました。
とりあえず、
あざーす!!!!
と大きな声で言ってればなんとかなった(笑)
だから問題なく業務をこなせていました。
仕事内容が障害特性と相性が良かったんです。
でも、多分いろいろやらかしていたと思います(自信あり(笑))
機動隊でも周囲の方の理解やフォローが大きかったんだと思います。
機動隊の時までまさか自分が発達障害だなんて想像もしていませんでした。
次に配置されたのは書類作業・事務系の多い部署
異動先の部署で私の特性がバリバリに発揮!!
あっという間に心が限界に達しました。(心がバッキバキのずたずたに(T_T))
異動後2ヶ月半で適応障害のため休職。
ここが人生の転機でしたね。
休職期間中にADHDの診断を受けました。
得意なことは誰にも負けない成果を出せるADHD。(と、思いたい!)
しかし苦手なこととなるとまったく手も足も出ません。
適応障害になったのは苦手なことが一気に降りかかったためです。
ADHDの特性が存分に発揮されて業務を処理しきれなくなりました。
診断を受けてから、、、、
自己分析の日々。
障害を受け入れられない日々。
イラ立ちと焦りの繰り返し・・・。
つらすぎた2年半。
家族に心配ばかりかけた2年半。
そして、なんとか職場に復帰しました!!
でもでも、復帰後もいろいろありました。(ひとことでは語り尽くせない・・・)
悩んだ末、復帰からちょうど1年で退職の運びとなりました。
よく1年、頑張ったよ、俺!
自分で自分を褒めてあげたい。(ご褒美にチョコレート欲しい♡)
警察を退職しようと決意した理由
警察の業務は幅が広いです。
幅広い業務に伴う書類作成や事務作業をこなしがら電話、受付、相談、クレーム対応などのマルチタスクが求められます。
「マルチタスク」⇛私が最も苦手とする領域なんです。
苦手というよりもまったくできません!
みなさんの想像をはるかに超えるぐらいできません。
異動先の業務はADHDの私にとって、相性が悪かったです。
私はADHDの特性と付き合いながらも仕事を続けていけるように様々な工夫をしてきました。
しかし、努力をしている割には改善が見られません。
障害の特性が壁となり、いい結果が得られませでした。
これ以上、我慢して組織に残り続けるのは上司や同僚に多大な負担をかけます。
自分自身も辛すぎます。
発達障害の特性を持ったまま、この先定年まで勤めることに対して限界を感じました。
「違う部署に異動できたらいいんじゃないか?」と思いますよね?
でも今までの部署では「運よく」上手くこなせてきていただけ。
この先、この「運」に期待していくのは危険だ!と。
自分の能力を活かせる場所で輝きたい!
障害者の気持ちを理解できるからこそ、障害者を支援する仕事をしていきたい。
と、新しい道を歩むことにしたのです。
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