はやぽん(@hayapon_adhd)です。
私は、大人になってから発達障害(ADHD)と診断されました。
空気を読んで行動することが苦手です。
子供時代は学校の先生によく怒られていました。
就職してからはケアレスミスが多く、職場の上司や先輩から怒られることが多かったです。
子供の時から怒られる経験が多かったため、失敗を極度に恐れるようになっていました。
他人の評価にとても敏感で怖い思いをずっと持っていました。
他人の評価に怯える日々を毎日過ごす「他人軸」の中で今までの30年間を過ごしてきました。
そんな私が「自分軸」で生きていけるようになれました。
自分軸を持っていると、相手の意見に引っ張られることなく、自分らしく、自分に自信を持って生きられるようになってきます。
私は職場の上司の評価よりも、自分を大事にしたい、自分を理解してくれる人を大事にして生きていきたい!
今回の記事は「自分軸」で生きるために私がしてきたことについての紹介です。
長い文章を読むのが苦手な方、
Instaragramでも発信しています。
他人からの評価を気にしすぎて自分を追い込み休職
誰でも他人からの評価は気になりますよね。
人一倍、気にしすぎていた私です。
他人軸とは
- 他人の評価ばかりが気になってしまう
- 人から嫌われることを極端に恐れている
- 自分の意見を持つことができない
という状態です。
私はADHDの特性により仕事でミスが連発。
失敗を繰り返すことで他人の期待に応えられなかったと自分を責める
⇓
自分でどう思うかではなく、他人が自分をどう見ているかで行動や判断をする
これを繰り返すことでどんどん自信がなくなりました。
負のスパイラルです。
毎日怒られ続けて、自信をなくし、自分の存在意義を見いだせず、心が破綻・・・。
結果、適応障害を発症して2年間半も休職しました。
自分軸で生きられるようになっていったきっかけは発達障害の診断
私は休職中に発達障害の診断を受けことがきっかけで他人軸⇛自分軸へと変わり始めました。
仕事では毎日、通常では考えられないようなレベルのミスを連発してました。
周囲に恥をさらしまくっていました。
でもその原因は自分の甘えや努力不足ではないことが分かるようになり、大嫌いな自分を徐々に受け入れることができるようになってきました。
自分を受け入れるまでの過程も簡単にはいきませんでした。
復職に失敗して再休職もしました。
自分が苦手な金銭管理の管理で妻には多大な心配や負担をかけました。
紆余曲折を経て徐々に自分の障害についての理解と特性を受け入れていきました。
自分のことを受け入れてくれる人間関係や環境を増やすことで辛い環境の支配から逃れられる
私が適応障害を発症することになってしまった原因。
それは自分が仕事でため込んでいたストレスや悩みを誰にも相談することができなかったからです。
最も身近な存在の妻にさえも、
こんなことで毎日怒られていることが妻に知られたら、私に幻滅してしまうのではないか
妻から愛想を尽かされるのではないか
という不安と恥ずかしさから相談することができずにいました。⇐完全に被害妄想(笑)
結果、私の精神は職場に完全に支配されていて誰にも助けを求めたり相談ができないような状態でした。
私はこのように「誰にどう思われるか」が常に頭の中にあり、自分がどう思っているか、どうしたいのかで判断して行動することができないくらいに自己肯定感が低い状態でした。
他人軸でしか考えられない自分が変わるきっかけとなったのが、「発達障害の診断」や治療の過程で私のことを本気で心配し、一緒に良い治療方法はないかと支えてくれた「妻の存在」でした。
夫婦二人で私が発達障害の特性とうまく付き合いながら復職を成功させるためにはどうすればいいのかを、毎日一緒に話し合いました。
妻に相談をしていくうちに夫婦の会話が増えて、自然と何でも話せるようになってきました。
妻にあきれられるんじゃないかと思い込んではなせなかった。
でも妻はあきれるどころか真剣になって話しを聞いてくれる。
自分のことを本当に信頼してくれている。
信頼してくれる人には自分のことを隠す必要も恥ずかしいと思う必要もないんだ!
信頼できる人に話しや相談をすることで職場の上司からの評価に囚われていた「他人軸の思考」から、自分でどう思うか、どうしたいのかで考えて行動できる「自分軸の思考」へと考え方が変わっていきました。
一つのものに依存すると心が支配されるということに気が付いた
私は自分の悩みやストレスを誰にも相談できませんでした。
職場の「上司からの評価だけが自分の全て」の状態にいたことに後になって気が付きました。
私は職場の中の狭い人間関係や評価だけに依存している状態だったのです。
一つのものに心が囚われている状態では、他の選択肢や行動が考えられなくなる!
と、今では冷静に考えられます。
自分自身が変わるきっかけは、自分のことを評価してくれる人間や環境は職場や上司だけではないと思えるようになったことです。
妻からの支援はもちろんですが、直接私の適応障害や発達障害の治療に関わってくれている病院のスタッフ、復職をする際の訓練で利用していたリワークプログラムの関係者など様々な人との信頼関係を築くことができたから短所や不得意なことがたくさんある自分のことを受け入れることができるようになりました。
多くの人に依存することで自分を受け入れて自立ができるようになる
他人軸で生きている自分が変わるきっかけとなった一つの本を紹介したいと思います。
東京大学の教授をされている安冨歩さんの「生きる技法」という本です。
対人関係を中心に、人生を自分らしく生きるためにご自身の経験と考察を元に書かれている本です。
本の冒頭の「自立するということは多くの人に依存すること」という一見すると矛盾するような考えが実は人生を健やかに過ごすための真理ということを考察している内容です。
安冨さん
自立することは多くの人に依存することが重要
人間は誰の力も借りずに社会生活を送ることは絶対にできない。
一つの関係や人間関係としか関係を持つことができないと自然と支配する側と支配される側の関係が形成されてしまう。
人間は依存する相手が少なくなるほど、結局は誰かに極度に依存して従属する結果になってしまう。
自立するためにはたくさんの相談や信頼のできる人間関係を作っておけば誰にも縛られることなく自分らしく人生を過ごすことができる
生きる技法より
この本を読んでみて自分の状況がまさに著者が書いてあることと完全に一致していることに気が付ました。
とても感銘をうけましたので紹介します。
助けてください、と言えたとき、あなたは自立している
生きる技法より
著者のこの言葉に私は心を打たれました!
私が適応障害になった時のことを振り返るとまさに、人に援助や助けを求めることができずに日々、失敗を繰り返す自分が嫌になり自分の存在価値を否定していました。
このとき、身の周りの誰かに「もう辛いです。助けて下さい」と言うことができたなら私は適応障害で休職することはなかったと思います。
経験をしたから分かったことですが、追い詰められた時に助けを人に求めることはとても難しいのです。
私は職場という閉じられた人間関係の中に囚われていたので仕事に心を支配されて助けを求めるということが出来ずにいました。
休職し、私のことを大事にしてくれる人の存在に気づくことができました。
徐々に発達障害を持っている自分を受け入れることができるようになりました。
今は良好な人間関係を築きながら毎日を送ることができるようになりました。
私は適応障害を発症する前よりも自分のことを好きになりました。
これは、自分のことを心配、信頼してくれる多くの人達の存在を再認識できたからこそです。
さいごに
「生きる技法」という本は多くの人に依存することが精神的に自立して、自分らしい人生を歩む第一歩だということを私に教えてくれました。
上手に甘えて困った時には気軽に助け合える人間、実は思ったよりも身近にいます!
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